「関西英語教育学会 KELES 第26回卒論・修論研究発表セミナー」に参加して

研究会・セミナー

先日、「関西英語教育学会 KELES 第26回卒論・修論研究発表セミナー」に参加してきました。

関西英語教育学会 KELES 第26回卒論・修論研究発表セミナー ご案内 | 関西英語教育学会

このイベントは毎年この時期に卒論や修論を終えた学生の方々が自分の論文について発表を行う機会です。毎回都合が合う限りは参加するようにはしていますが、参加するたびに学生の方々の大学での最新の研究について触れ、新たな学びがある一方で、新年度に向けて自分自身ももっと研究をしていかなければという刺激をいつももらいます。

ただ、昨年参加した際にあったことが今年もありました。英語教育学会なので、発表者は発表言語として日本語または英語を選ぶことができます。多くの学生の方々が日本語ネイティブなので、もちろん日本語の方が英語で行うより難易度は下がると思いますが、その中でも学部生・院生問わず、毎年英語での発表があることは本当に素敵なことだと思います。もちろんほとんどの参加者が日本人なので、日本語で発表した方が伝わりやすいとは思いますが、英語教育の研究者として英語で勝負をしようとすることは大事なことだと思います。

しかし、どれだけ学生の方々が勇気を出して英語で発表してもそれを迎える側の体制が整っていない場合に大変残念に思うことがあります。昨年同じ会に参加した際に、ある学部生と院生の方々が英語での発表を予定されていました。他の英語教育の学会では英語での発表がある際には進行も英語もコメンテーターも英語で行うことがあるのですが、その時のコメンテーターの大学の先生の第一声が「英語での発表ですがコメントは日本語でもいいですか」でした。皆さんはこれに対してどう思いますか。私個人としては、極端な立場かもしれませんが、せっかく英語でやろうと思って参加してくれた学部生や院生の方々に対して、英語教育の先輩の先生方が日本語で応えるのは正直なところ残念に思いました。学生の方が英語で発表をしてもコメントする先生が日本語になってしまうと、頑張りどころである質疑応答もどうしても日本語になってしまい、せっかくの研究を英語で披露する機会がなくなってしまいます。そして、先日参加したセミナーでも、ある学生の方が英語で発表したにもかかわらず、大学の先生方のコメントは日本語であり、最終的な議論は日本語になっていました(ただ、その発表は発表内容に改善の余地が少しあったので、コメントの先生としてはより分かりやすい言語でしっかりと伝えたいという意図があったと思います。)。

今回は先日参加した卒・修論セミナーに参加して感じたことを紹介しました。セミナー自体は今回もどの学生の皆さんの発表も大変興味深く、そして特別公演の関西大学の竹内理先生のお話はやっと聞くことができ、国際的な研究者のレベルに圧倒され、次年度に向けてたくさんの刺激をもらいました。ただ、せっかく学生の方々が英語で発表しているのだからやはり大人たちがしっかりと英語で応えなくてはいけないのではないでしょうか。もちろんLanguage doesn’t matterなので、日本人同士での議論でなかなか英語で深いレベルで言えない部分を日本語に切り替えて行うこともあるかと思いますが、まずはLanguage doesn’t matterで英語なのか日本語なのかというような二律背反のような議論ではなく、どちらでも問題ないからこそ英語でやっても問題ないような雰囲気が前提にあるべきではないかと思います。今後の日本の英語教育が変わっていくために、まずは学会やセミナーがそのような雰囲気であり、日本人以外にも色んな国の背景の人と英語で議論できる場になっていけば、自ずと日本の英語教育も変わっていくのではないかと思います。ただ、そう言いつつも、必ず英語でという立場は日本の英語教育界ではあまり極端な立場なのか、もう少し寛容な姿勢を身につけた方がいいのでしょうか…

ただ、英語の学会では…?

皆さんの実践や研究の少しでも役に立てば幸いです。Tomorrow is another day.

Last Updated on 2023年2月26日

コメント

タイトルとURLをコピーしました