Perspectives: Toward the Development of Intercultural Communicative Competence: Theoretical and Pedagogical Implications for Japanese English Teachers

文献概要

今回紹介する文献はSamimy & Kobayashi(2004)Perspectives: Toward the Development of Intercultural Communicative Competence: Theoretical and Pedagogical Implications for Japanese English Teachersです。

前回に引き続き、日本のEFL(English as a Foreign Language)環境についての文献を選びました。前回の文献が実際の授業についてであったのに対して、今回は日本のEFL環境、学習者、指導者、社会的要因の観点から、日本の英語教育について議論してくれています。2004年の文献であり、少し古いものではありますが、現在の状況とあまり大きく変わっていないように感じます。

皆さんの研究の役に立てたら幸いです。

初めに

1989年の学習指導要領にCommunicative Language Teaching(以下、CLT)活動の重要性が繰り返し明文され、現在、日本の英語教育では、文法的な能力だけではなく、学習者の英語での全体的なコミュニケーション能力の育成を目的としている。文部科学省は、その目的の達成に向けて、日本人英語教師の補助として外国人を採用するJapan Exchange and Teaching Program(JET)の導入や、国内または海外での教員研修を導入してきたが、これらの改革がこれまでのところ大きな効果になったとは報告されていない。

この研究では以下の3点を目的としている。

  1. 日本でのCLT実施に関して報告されている障害の検討
  2. CLTの背後にある暗黙の想定に対する批判的な調査
  3. 異文化コミュニケーション能力の概念に基づいたCLTに代わる指導法モデルの提案

理論的背景

CLT

CLTの目的であるコミュニケーション能力は、Canale and Swain(1980)が最初にその構成要素を、文法的能力、社会言語的能力、方略的能力の3つとした。その後Canale(1983)が談話的能力を加え、コミュニケーションの中でこれら4つの構成要素が互いに影響し合っているものとした。

  • 文法的能力:語彙や、形態論、統語論、意味論や音韻論のルールの知識
  • 社会言語的能力:その参加者の役割や対話の目的や基準などの要因によって、与えられた社会文化的な状況でどの発言が適切かを示す使い方のルールの知識
  • 談話的能力:まとまった話や書きの文章を生み出すために形式や意味をどのように統合するかの知識
  • 方略的能力:実行中の変数や不十分な能力によるコミュニケーションの停止の際に利用されるかもしれない言語的または非言語的な方略の知識

Savignon(1983, 2002)も、文法的能力、社会文化的能力、談話的能力、方略的能力から構成されるコミュニケーション能力の逆ピラミッド教室モデルを提案した。Canale and Swain(1980)とCanale(1983)のものと構成要素の定義は基本的には同じであったが、Savignonの社会文化的能力の定義は、L2(第二言語)文化の知識だけではなく他の文化への共感と心の開放性という異文化意識を含んでいる。

以上から、CLTの目標は、コミュニケーション能力の構成要素を巧みに統合し、社会的に適切な方法でうまく言いたいことを伝える能力を学習者が身につけることを援助することである。

CLTが現在、外国語または第二言語指導において有力な指導法として進められる一方で、教員が教室でのCLTの実施に困難を感じていることが報告されている。

  • 口頭でのインタビューや作文、ポートフォリオなどの生徒のコミュニケーション能力を総合的に評価する方法は、従来の筆記によるものより時間がかかり信頼性が低い。また、総合的な評価は、客観性や効率性に重きを置いている、現在の学校文化では簡単に実施できない。
  • CLTの支持者は言語形式より機能や概念に重きを置き、言語形式は意味に重きを置く中で偶発的に学習されると主張しているが、多くの教室では、文法の正確さを重視する、文法訳読法などの従来の指導法が実施され、CLTとは相反する。
  • ここ何十年の中で学者たちは様々な理論的枠組みの中で学習者が目標とする言語の形式に注意を向けることが言語習得に近づくと主張し、排他的に意味に注目することの限界がますます明らかである。

ELF環境でのCLT

内円(アメリカやイギリスなど)で起こることが拡大円(日本、中国、韓国など)でも同じように起こるはずだとよく考えられるが、英語がリンガフランカとして認識され、所有権が排他的にネイティブ話者に帰属するわけではないので、EFL環境においての新しい指導法の革新と実施を検討する際には、そこでの英語の使用に関わる社会文化的、政治的、教育的な変数を考慮することが特に重要である。

ESLとEFLの区別の再考

英語の指導や学習において、ESLとEFLの違いは重要であり、学習者の事前の英語への関わりや、成功の見込み、平均的な達成度合、最終的な目標に影響を与える。

EFL環境では、英語は外国語として、そして学校のカリキュラムの科目の1つとして教えられる。また、教室外の日常生活でほとんど英語を使用する機会はない。

ESL環境では、英語は教室では他の科目の指導言語として部分的または全体的に使用され、教室内外で英語に触れる機会が十分にある。

日本人学習者要因とCLT

文部科学省は学習指導要領でコミュニケーション能力の育成を目指しているが、そもそもESL環境の学習者と違って、日本の学習者は英語でのコミュニケーション能力を習得する急な必要性も圧力も感じていない。

日本人中高生にとって、英語の学習は、文法、語彙、読解に重きを置く「受験英語」と密接に関わり、Kodaira(1996)の調査では進学系の私立学校に通う高校生の77%が大学受験で合格することが英語を学習する理由であると答えた。

受験が日本の教育において強力で決定的な役割を担う限りは、日本の学校に通う子ども、特に受験を合格する急を要する圧力に直面している人は特に、コミュニケーション志向の英語よりむしろ受験英語に必然的に集中するだろう。

日本人授業者要因とCLT

EFL環境での授業は非ネイティブ話者によって大抵行われ、非ネイティブであることは教員のコミュニケーションへの自信に影響を与え、それにより指導者はコミュニカティブな英語を使用しなくなると言われている。日本においても、CLTの授業では、日本人はAETに頼むか伝統的な指導法で英語を生徒に教えている。

ネイティブと非ネイティブでの授業者の違いは、非ネイティブの英語教師は英語でのコミュニケーションの自信や能力を達成するのに相応しい目標にはなることができないという固定観念をただ強化してしまう。

一方で、非ネイティブの教師は、ネイティブより学習者の現実についてよく理解し、学習を生徒にとって関係のあるものにし、彼らのL2や経験を利用して必要性に取り組むことで、コミュニケーションの経験を学習者にさせることができる。

社会教育的要因とCLT

社会教育的要因もまた日本の学校でのCLTの実施の邪魔をしている。

入試については、前述の通りだが、将来的に型式を変えることがない限り、現行の英語教育への波及効果により、日本では「テストのための指導」が指導法として広がる状況が続くだろう。

CLTの理論的な土台と日本の学習文化の間に文化的な不一致があり、内容とは対して過程の重要性や形式より意味に重きを置くようなCLTに埋め込まれた西洋的な価値観は、アジアの学習者や指導者には不適当であると言う人もいる。Miller(1995)の調査は、アメリカ人の指導者の授業が非伝統的でコミュニカティブなものであるが、日本人の授業者による授業は伝統的で教員中心のものであると日本の大学生が答えた。一方で、Matsuura, Chiba and Hildebrandt(2001)では、日本の大学の指導者はより革新的な指導法を好むのに対し、学生たちはより伝統的な指導を好むことが報告された。

また、日本のカリキュラムは中央に集中するので、教員には文部科学省が決める方針に従わなければならないという圧力があり、現場の教員の声は耳を傾けられることもなく無視される。

ここまでの章で見てきた要素が日本の英語教育の背景にはあるが、日本の英語教員はCLTのような内円から輸入された指導法を批判的に注意しながら扱っていく必要がある。さもないと、直近の必要性と調和するように、CLTを解釈・調節して、生徒に大学受験への準備をさせることになるだろう。

CLTに代わるモデルへ

これまでの要因を見てきた中で、CLTの基本的な前提が日本の英語教育の状況に相応しくなく、仮に基本となる前提がEFL環境と一致したものでなければ、CLTが日本のような国での英語指導者に多くの課題を投げかけることになることは驚くべきことではない。

しかし、筆者は、国際語としての英語(English as an international language、以降EIL)という概念を取り入れることで、これらの課題を克服することができると主張している。

国際語とは、異なる国同士の人が互いにコミュニケーションを行うために使われるものであり、国際語としての英語は次のような特徴を持つ。

  • 学習者はその言語のネイティブ話者の文化基準を内在化する必要はない
  • その言語の所有権は個別化していく
  • 学習の教育的目標は学習者が自分の考えや文化を他人に伝えることができることである

Alptenkin(2002)は、英語指導のためのCLTの妥当性について異議を唱え、標準化されたネイティブ話者の基準でのモデルは、空想的、非現実的、制約的なものであると下記のように主張している。

  • ネイティブ話者を規範としたコミュニケーション能力の概念は、理想化されたネイティブ話者の概念と同じくらい理想的なものであり、それは存在しない抽象概念であり言語の作り話である。
  • 非ネイティブ話者がネイティブ話者の数を上回っているので、ネイティブ話者をモデルとすることは非現実的である。
  • ネイティブ話者を本物の英語の資源として仰ぎ見る限り、ネイティブ話者をモデルとするコミュニケーション能力は教員と生徒の自主性を抑えてしまう。

Alptenkin(2002)は、異文化コミュニケーション能力のモデルの中で、次の5つを基準として勧めている。

  1. 異文化への洞察力や知識を持った、成功したバイリンガルがEILの指導モデルとして果たすべきである。
  2. 異文化コミュニケーション能力は、他の人と効果的にコミュニケーションを行うことがでできるようにする言語的・文化的な行動や、違いに対する意識とそれを対処する戦略を学習者に身につけさせることで、EIL学習者の間で養われるべきである。
  3. EILの指導法は、学習者がグローバルとローカルでの英語の話者になり、国際的な文化でも自身の国の文化でも精通しているようにするべきという点で、グローバルな中での適切さとローカルな充当の1つであるべきである。
  4. 指導上の教材や活動は、学習者の生活に馴染みがあり関係のあるローカルや国際的な文脈に関連づいているべきである。
  5. 指導上の教材や活動は、非ネイティブ同士と同様に、ネイティブと非ネイティブ話者での対話に関する相応しい談話のサンプルを含むべきである。ネイティブだけから産出される談話の使用法については、実際の状況で潜在的に使用されるという観点では多くの学習者に主に関係しないので、最小限に留めるべきである。

教授法上の示唆

Alptenkinの異文化コミュニケーション能力のモデルを現在の日本の英語教育の環境に組み込みと、

  1. 日本の目標や模範は、EILの観点から再検討する必要があり、ネイティブ話者ではなく英語も日本語も話すことができるバイリンガルを模範とするモデルにするべきだろう。
  2. 純粋なコミュニケーションのシラバスは日本の環境に合わないので、文法的な内容もコミュニケーション的な内容も統合したものが理論的にも実践的にも適切だろう。
  3. 授業で使用される題材は、学習者の文化、対象とする文化、そして国際的な文化を含んだものであるべきだろう。
  4. EFL環境に適した指導法は、ESL環境で用いられているものとは異なるかもしれず、英語のみでの取り組みはESL環境では適切であり必要であるが、日本の環境では学習者の習熟度に応じて教師はうまく2つの言語を用いる必要がある。

結論

まとめとして、ネイティブ話者を模範とする現在のコミュニケーション能力のモデルまたはCLTは、社会文化的そして教育的な要因から適当で実行可能なものではない。

異文化コミュニケーション能力は、日本の英語教育において、より現実的で実行可能な指導モデルを示すだけでなく、学習者がグローバルな対話でのコミュニケーション能力の育成することを援助するだろう。

この文献を読んで

この研究では、CLTが導入されつつある状況の中で、日本の英語教育を取り巻く環境について整理を行い、CLTを組み入れることでの起こりうること障害や問題について整理してくれていました。

やはり文化と同じく土壌の異なる指導法を単に導入することの限界は明らかであり、日本人の得意とする、それをどのように日本人に向けたものにするかが必要であるかと思います。

ただ、入試という要因は中高の現場ではまだまだ大きな力を持ち、大学入試が知識偏重なものから脱却しようとしている中で、まだまだ問題集に取り組むことばかりになっている現状は根深いと思います。入試に向けた指導が必要であることはもちろん理解していますが、本質である英語力自体を育成する方法はいくらでも改善の余地があり、「入試のための指導」は必ずしもCLTのような指導を行わない理由にはならないでしょう。

この論文が書かれた当時と変わらず、CLTを基とした様々なコミュニカティブな指導法が海外からどんどん輸入されてはいますが、日本のようなEFL環境についてよく検討し、日本の環境に適したコミュニカティブな指導法が今後もっと議論されることを願っています。

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文献情報

Samimy, K. K., & Kobayashi, C. (2004). Toward the development of intercultural communicative competence: Theoretical and pedagogical implications for Japanese English teachers. JALT Journal26(2), 245-261.

JALT(全国語学教育学会)のHPから下記のURLよりダウンロードすることができます!
https://jalt-publications.org/jj/articles/2620-perspectives-toward-development-intercultural-communicative-competence-theoretical-

Last Updated on 2023年2月5日

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