その授業は誰の授業?

その他

新年度が始まり、最初の週が終わりました。皆さん授業以外にも学級や学年、分掌などで色々と忙しくされていることかと思います。かくいう私も今年度は高校1年生の担任になり、初期行事関係の事務処理でなかなか授業にも手が届いていない状況です…

一方で教科会議もあり、指導計画や評価方法など授業の準備も少しずつ進めていかないといけない状況で今年度は学校からの指定の教材を使用しなくてはいけない状況になりました。今回は、今年度の授業を準備するにあたってのその指定教材について思ったことについて書こうと思います。

海外教材の流入

さて、本校では学校の方針として一部の授業においてCambridge University Pressの教材を授業で使用することになっています。導入の経緯としては英語を使える生徒を育てるために学校の英語教育の改善に向けた方法としてCambridge University Pressの教材を導入することになりました。

幸運にも(?)私はその当時は導入前の生徒を担当していたため使用することはしばらくなかったのですが、今年度からは該当学年となったため使用することになりました。授業の計画等は主となる同じ学年の教員が準備しますが、導入からしばらく経ったにもかかわらず、他の学年や他の教員の様子としては、基本的にはその教材を指導書の通りにやっているようでした。

その教材自体は他の市販の教材と同様に良い面も悪い面もあり、教材自体を全面的に否定するつもりは全くありません。その教材を通して、ターゲットとなる表現のコミュニケーション活動に取り組むことや西洋の文化を学ぶこともできることでしょう。ただ、そのような教材を指導書の言われる通りにやっている現状については疑問に思ってしまいます。

便利な世の中だからこそ

昨年、本校では学外の先生方やCambridge University Pressの方を迎えての英語教育の授業公開とセミナーが行われました。多くの先生方が本校に来られ、色々な学年で授業を公開を行い、参加者の皆様からの感想も肯定的なものが多いようでした。確かに教材の指導書の通りに授業を行えばコミュニケーション活動にも取り組むことができ、公開された授業での生徒の様子も活発で、一見成功しているように見えますが、どこか私の中では味気ない気持ちになりました。

なかなか授業がうまくいかない人やどのような授業をしていけばいいか悩んでいる人にとって「〇〇をすれば」や「△△を使えば」というようなフレーズは確かに聞こえはいいかもしれません。書店やインターネット上でもそのような謳い文句の教材や指導法、セミナーはよく目にします。ただ、「〇〇をすれば」や「△△を使えば」によって授業が本当に成立するのであれば、もはやその授業者は誰でもいいのではないでしょうか。必ずしも日本人でなくてもいいですし、外国からの方でもよく、教育経験のない方でも、ましてや英語が話せない人でもいいのではないでしょうか。

指導法や教材はあくまで道具でしかありません。コミュニカティブ・アプローチを基にした指導法が入ることや、ICTが整備されることで注目されることがありますが、一時の流行りであり、廃るのは時間の問題かと思います。時代や文化、技術が変わる中でもしっかり英語力を持った英語教師は方法を変えるだけでうまく適用してやってこれているのではないでしょうか。スマートフォンのように、使う側であったにも関わらず、いつの間にかスマートフォンに管理されていることがないように、我々英語教師は使う側であり続けるために知恵を身につけ技術を磨き続けるべきではないかと思います。

まとめ

今回は指導書をきっかけに英語授業がどうあるべきかについて考えてみました。これからますますテクノロジーの発展により便利な道具はどんどん出て、我々の授業で代替される部分もますます出てくるでしょう。だからこそ、これまで以上に専門知識を身につけ、どのような教材をどのように使うのかを判断して、自分にしかできない授業を今年度も作っていきたいと思います。

先ほどの昨年本校で実施された授業公開では、指導書の通りその教材で授業する一方で、若い教員が自分なりにその教材を研究・解釈して授業に挑んでいました。荒削りな部分も改善すべき部分も多くありましたが、自分の授業を必死になって取り組んでいる様子は、見ていて自分自身ももっと頑張らねばと刺激を受けました。

どっちが良いや悪いはないのかもしれませんが、皆さんはどっちの授業を目指しますか?

皆さんの実践や研究の少しでも役に立てば幸いです。Tomorrow is another day.

Last Updated on 2023年4月11日

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